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はっと汁withぶりのあら② ~子どもの頃の食事、親の教育方針~

文責:宮崎 栄康 (2008年7月 6日) カテゴリ:宮崎日記(73)

さて、ここから本題です。
食事をしていたら”ある想い”で急に泣けてきた。涙の理由は私の
「子供の頃の食事」を通した、今になって分かる「親の教育方針」。

八戸は海も近く、山も近い。両親ともに、魚、山菜、きのこなどが
大好きで、自分で採りに行く。春夏秋冬、連れて行かれるのは海山川。
朝3時に起こされて、うっとおしいと思ったことも幾度もあった。

山菜は小さい頃苦手だった。けれど親は食事を残すことを固く禁じた。
何でも食べることを徹底した。食べ物を大事ということもあったが、
大きくなり、どこに行ったとしても好き嫌いなく何でも食べれるように。

つまり、俺の両親は子供に対して「自分を曲げなかった。貫くことで
ただ真っ直ぐ、ぶつかってきてくれた」。食事以外でも。
子供に合わせることをしなかった。大人も子供も。うまくいくことも
失敗することも。その全てが社会だと、そして生き方を教えてきた。

最近、自分らしさや社会のあり方を良く考える。いい部分も悪い部分も。
そして両方について、1つ1つ頭を整理し、1点にまとめ言語化する。
そうすることで、”本質”を少しずつ見れるようになってきた。

現代社会の根本的な問題。「等身大、ありのままでぶつかれない。」
「自分」というものを認識しようとしない。年齢、役職、所属、地位。
まとわり付くアクセサリーで「自分」を説明しようとする。
例えば、子供に対して合わせる。→すでに年齢が邪魔している。

大人も子供も関係ない。俺の両親がそうしてきた。自分の経験に乗せ
「食が大切だ」「自然を楽しむ」という本質的価値をまっすぐ伝えた。
親は無理やり、自分の趣味に連れ回ってもいいと思う。それが親の
生きてきた数十年間の全てであり、子供の数年間で考えられる価値を
大きく上回っているのだから。合わせることは成長につながらない。

結論。俺が今出来ることは、まちなかフェスティバルや他のイベントに
置いて、大人の”等身大”を子供にぶつけること。
子供に合わせた薄っぺらい企画は禁止する。そして、本質的価値を
一緒に議論する。「企画する人の何十年間」を言語化する補助をする。

俺も等身大でぶつかるからこそ、相手も初めて等身大という戦場に引き
ずり込まれる。社会の認識としても、無所属の学生だから出来る領域。
そして、子供たちに対しても等身大でぶつかれる大人になりたい。



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